REIKI-TREE 気と木に戯れる

レイキのある生活

家の近くにう○ち、正論とは何かを考える

そのまんまなのですが、家の近くの道路にワンコのものと思われるう○ちがありました。

朝早くには無かったのに、ゴミ出しにと出た途端、目の端に写りました。

 

以前の私であれば、この時点でドッカン!怒りが大爆発!!

自身も犬を飼っていますので、どういう感覚でこんな非常識なことが出来るんだろうかと、メチャクチャキレていたことは予想に難くなく。

 

ところが、今回は確かに朝っぱらから全く気分は良くない状況ですが、それでも怒りよりも先に頭に浮かんだのは『さっさと片付けな、車が通ったら大変。』と、家に戻ってトイレットペーパーを片手に後始末。

そのまま自宅のトイレで流して、さようなら~。

 

あっという間の出来事でした。

 

これを以前の私がやるとなると、頭の中は怒りに支配されていますから、

 

『なんで私がやらなあかんねん』

とか

『ここに犬のトイレ禁止の立て札を置かなあかん』

だとか、

『そもそも、なんで自分の飼い犬でもない犬の後始末を私がせなあかんねん』

だとか、

 

まぁ、それはそれは沢山怒りを爆発させて、その怒りを家族にもぶちまけて、まったく楽しくない話題に家族を巻き込み、一瞬にして家族全員を怒りの渦に巻き込んでいたことでしょう。

 

それでも私は正しい。

私は悪くない。

正しいことを話している私は正しい。

 

と、正論武装、正論万歳、正論信者・・・。

とまぁ、言い出せばいくらでも出てきそうですが、そんな感じで見えぬ相手を対象に怒りのエネルギーをどんどん膨らませ、周りに撒き散らかして、それでもスッキリせず、ことあるごとにそのことを思い出しては、また怒る。

 

・・・負の循環ですやんか(笑)

 

今はこうして、笑って客観視することが出来るようになりましたが、今の私が以前の私に語りかけたとしても、こてんぱに言い負かされていたことは容易く想像出来ます。

かといって、今の私が以前の私に言い返せないのかと言えばそれはまた別で、言い返す必要がないと気付いたことが一つの進歩です。

 

正論は、自分を見えなくしてしまいます。

正論は、正論という立派な盾と槍を使って、自分を守り(盾)、相手を攻撃します(槍)。

 

正論をかざして正しいことをしているという思い込み。

表面上、正しいだけに怖いのですよ。

正論信奉者とでも言えば分かりやすいかもしれません。

 

そんなことを言いつつも、普段の生活で『あれが正しい、これは間違っている』と、ついつい癖で判断していますし、私は悟りきった聖人君主でも何でもありません。

日々の生活にレイキを取り入れている、単なる主婦です。

(たまに着物のお稽古なんぞもさせて頂いておりますが❤)

 

私の中で『怒り』は最も厄介なもので、現代レイキの五戒

 

今日だけは 

 怒るな 

 心配すな 

 感謝して

 業に励め

 人に親切に

 

のトップバッターな『怒るな』

 

怒るよ。

だって、私は正しいのだから(笑)

 

いやいや、自分の常識は相手の非常識。

自分の物差しで全てを計らない。

 

なかなか手放せない『怒る』という感情ですが、少し俯瞰できるようになってきたのも事実です。