自他共に認めるガミガミオバサンな私。
そんな私に息子から、『これお母さんにプレゼント』と渡されたお茶碗。
柔らかい表情の猫の顔。
にっこり微笑んでいるかのような猫の顔。
『お母さんにはこの猫のようにいっつもニコニコして欲しいから』と言われ、ガミガミなのは自身で重々承知していましたが、それでも突き付けられた身内からの事実はなかなかな衝撃でした。
臼井先生の教えの五戒のまず一つ目が、
今日だけは怒るな
『そんなん出来るわけないやんかー。』
『そもそも怒らせる方が悪い。』
と、現代レイキを習いたての頃は、まぁ自分の正論を盾に出来ないことを羅列していましたが、『そりゃ、そのままのあんたやったら出来へんわ』と、以前の私に言いたい(笑)
だからと言って、私が怒りを手放した聖人君主のような人格者なのかというと全くもってそうではなく、単なる一主婦。
そして、まぁ良く怒ります。
怒りの根元は、『私は正しい、私は間違えていない』という正論の塊。
正論という鎧で槍で武装していますが、その武装を取ったらば一体ぜんたい私はどんな姿なのでしょうか。
怒ることは簡単です。
そして、今まで怒ることを正当化して、習慣化してたならばなおのこと、自分にとっては一番やりやすく得意技。
ただ、その得意技は相手を幸せにする必殺技なのでしょうか。
相手のみならず、自分をも幸せに出来る必殺技なのでしょうか。
そんな疑問が湧いたなら、一度は自分の常識を疑ってみるチャンス。
自分の固く信じてきた方法は得意技でも、必殺技でもないのかもしれません。
今までの習慣を手放すのは怖くもあり、なかなか容易ではありませんが(慣れ親しんだ方法は楽ですし、何も考えずに出来ますからね。慣れとは怖いものです。)、でも変わらねば状況は変わりません。
変わるのは怒って無理矢理変える相手ではなく、得意技・必殺技を封印する私。
私が変わらねば、目の前の状況は何も変わりません。
今日だけは怒るな
数年前には決して出来ないと思っていた難題。
でも、出来るのかもしれないと気付いた今。
やるなら今でしょ!(もう古い?)