健康診断の合間にと持参した本。
土居先生の本。
久し振りに読み返し、以前は気にならなかったところで『ほーほー!!』となりながら読み進めていくと、ある一文で目がとまりました。
出口王仁三郎氏が
『誰の手でも効くが、日ごろから神仏によく手を合わせている人の手は特によく効く』と。
以前は全く気にもしていなかった一文。
今回何故この一文に目が留まったかというと、コロナ禍前から家族でのお参りが自然な流れとなり、気付けばここ二年で様々な神社やお寺にお参りさせて頂きました。
この流れはレイキをする上で必要な事であったのかもしれないと、ちょっと衝撃を受けました。
であるならば、私が意図せずとも、必要な事は必要な時に必要な状態としてやってくるのだと思います。
ただそれに、乗るのか乗らないのか。
そこが分かれ道。
私の手は特別でも何でもなく、まだまだ寒いこの時期の手のひらは冷えの最たる特徴の冷たい手。
ところがレイキをすると、自分でも未だにビックリするくらいに暖かい手に早変わり。
手のひらはレイキの放射口。
私の身体を通り、必要な箇所へと手のひらを通して流れていってくれます。
当たり前のように自分の身体を使って、歩いたり走ったり、食べ物を食べたり、喋ったり、音楽を聴いたりと、おおよそ全ての機能を使っているかのように錯覚しがちですが、人間の身体はまだまだ未知なる箇所が沢山隠されているのでは、とレイキをするにつれて感じます。