REIKI-TREE 気と木に戯れる

レイキのある生活

レイキのシンボルは料理のレシピ

20年ほど前に一度だけ習ったことのある料理教室。

全体像が分からないと、頭で理解できないと、前に進めない私。

(この性格がなかなか邪魔くさい(笑))

 

対して、料理教室の進め方は分業制。

切るだけの人、炒めるだけの人、洗い物をする人など。

私にはこれがとてもつまらなく、そして一人で全部できないことがもどかしく、一度の体験教室でおしまい。

それ以来自分の好きなように、好きな料理を作って楽しんでいます。

 

とはいっても、さすがにいきなり適当な調味料と、下処理も分からないままレッツクッキング!とはならず、一度はレシピを見て手順通りに。

その後数回もすれば、レシピ通りの調味料の分量はこだわらず、自分の舌と対話をして味を決めていく。

これがなんとも楽しい瞬間。

 

そんな話しを、ご飯を食べに来てくれる人たちに話すと、たいてい

 

『同じ味にならへんやんか』

 

と驚かれるのですが、元々の素材の味や水分量等によっていくら分量通りの調味料を入れたとしても同じ味にはならず、そもそもレシピの味より『もっとお醤油を効かせた方が好き』、だとか『もっと甘い方が良い』だとかもありますし、となるとあくまでもレシピは料理をする指示書のようなもの。

 

であれば、その都度、思う味になるように分量を変えていけばよいだけのこと。

素材を変えることは出来ませんが、調味料の分量次第で味はいくらでも変えられますしね。

とか言いつつも、まぁ、多少違う味だとしてもお店で出す料理ではないので正直どちらでも良いのです(笑)

 

そんなことを考えながら、ふと料理のレシピはレイキのシンボルと同じようだと感じました。

 

レイキのシンボルを習いたての頃は、

 

『シンボルを使わなければ出来ない!』

 

と頑なに、テキスト通り、間違えず完璧にと思い込んでいましたが、料理のレシピと同様、シンボルはいつしか手放していくモノ。

 

その手放し時は、レシピ無しで料理をするのと同様、やはり回数が必要だと思います。

 

何度も何度も同じことを繰り返して、自分の中に落とし込んでいく、馴染ませていく作業。

 

地道な作業ですが、これが一番確実で、私はこの方法しか知りません。

近道もなければ、必殺技もなく、ただひたすらレイキを使うだけ。

 

自分を信じて毎日レイキ。

f:id:ki-tree:20220404153323j:plain