REIKI-TREE 気と木に戯れる

レイキのある生活

22日は22だらけ

午後から用事のあった3月22日。

せっかく大阪まで出るのであればと、何となく気になった四天王寺へ。

この日は朝からザザ振り雨模様。

f:id:ki-tree:20220323153509j:plain

 

受付に行くと、お彼岸は拝観料が無料とのことでありがたく中へ。

周りを見て見ると、蝋燭や木札というのでしょうか、皆さん何やら文字を書かれております。

 

私は知識が全くなく、何をどうしたら良いのかとお堂にいらっしゃった方に伺ったところ御先祖供養が出来るとのこと。

これも何かのご縁と、父母の実家、嫁ぎ先と自身の祈願も含めてお札を納めてきました。

 

22日は聖徳太子の月命日だそうで、ふとしたタイミングで選んだ22日でしたが良き日に御先祖供養が出来ました。

 

今こうして私が生活が出来ているのも、御先祖様のお蔭。

頭では分かっているものの、父母や祖父母のお蔭で自分がいるという程度の認識。

自身が関係する見える範囲での認識ですね。

 

祖父母以降は会ったこともない、それこそ見えない知らない世界。

ただ、その方々が命を繋いできて下さったからこそ私はこの世に存在できているのであり、そんな当たり前のことがやっと頭ではなく、肚で分かりました。

 

私は見えたり、聞こえたりの霊感はありませんが、見えなくとも『ある』ということを、自分への信頼を取り戻す過程でどんどん実感しています。

 

自分を信じ切ることが、自信となり、忘れていた何かを思い出させてくれているような感じがしており、『その根拠は?』と問われると、・・・根拠はありません(笑)

 

会社員時代はエビデンスが何よりも第一でしたが、この数年で真反対の世界に来てしまいました。

 

今日も22のナンバーの車を見かけましたが、22日にふとケータイを手に取ると、3月22日22時22分。

f:id:ki-tree:20220323155458p:plain

 

『それが何か?』と問われれば、単たるゾロ目。

ただ、何に気付きどう生きていくか。

その術は自分にしかないようです。

 

誰のせいにも、何かのせいにも出来ません。

信用足り得るエビデンスは、外に出はなく内にあるようです。

自分自身を信じ切ること。

 

今までと真逆の選択は難しいものですが、新しい発見の連続です。