十の間は五。
五黄土星は中心の星。
人体でいうところのお腹。
五穀(米・麦・粟・豆・きび、またはひえ)
五臓(肝・心・脾・肺・腎)
五節句(1月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日)
五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)
五十音
五行(木・火・土・金・水)
五で始まる言葉を羅列してみましたが、レイキや今勉強している四柱推命とも通ずるところがあってちょっと面白い。
こうして様々なことは気付いていないだけで、身の回りには面白いことが沢山潜んでいるのだと思います。
ただそこに、気付けるか気付けないかの違いだけ。
気付けなかった頃の私は、外に全てが用意されていると信じており、自分が自分でいられるのは、自分を評価してくれる環境、そのことによって得られる達成感が私にとっては何物にも代えがたいものだと思っていました。
なので常に満たされることはなく、常に何だか分からない『何か』に不足を感じていました。
周りからは、『何が不足なん?』とよく聞かれていましたが、私としたら足りないものだらけ。
『もっと、○○出来るようになりたい!』
『もっと、出来るはず!』
この『もっと』は、自分にだけ向けられるのではなく、厄介なことに自分以外の人にも向けられてしまうのです。
『もっと出来るんちゃうの?』
『もっとこうしたらいいんちゃうの?』
とね(^^;
いやはや厄介。
今になれば色々と見えてくることも、当時の私は
『良くなるためにしているのだから、間違えていない。』
と、自分の考えを正論にのっけて、良くしている!良くなっている!!と邁進しておりました。
いやはや本当に怖い(笑)
この『もっと』は向上心に置き換えられ、今より良くなるにはどうしたら良いのか、が思考の中心。
悪くはない考え方だとは思うのですが、ずっとだと本当に疲れる。
いつまでもこんな調子で自分の思考に身体を従わせていれば、いつか身体が悲鳴を上げてしまいます。
悲鳴を上げた身体に毎週の点滴で誤魔化していましたが、対処療法でしかないですね(^^;
退職して、とりあえず気になることをやってみようとまずは着物。
そして、ひょんなことから気付けばこっちの世界に来てしまいました。
物質だけの世界は私にはとても刺激的で、欲という欲を刺激され、その欲を元にずっと働き続けると信じて疑うこともせず。
富=豊かさの象徴
働かざるもの食うべからず
で、それはそれは仕事大好き人間でした。
それなのに、何故私はこっちに来てしまったのか(笑)
ある方から、『退職して色々と気付けて良かったのよ。』と言われましたが、気付かずにそのまま数字をよりどころに生きていくのも幸せだったのでは?
と、もしかしたらの私のもう一つの未来を想像する日もあります。
でも、やはりあのころ見えていなかったモノが見えるようになったのはまぎれもない事実。
そして、見えるようになった世界の無い世界が考えられないのも事実。
もうすでに答えは出ているのです。
こっちの世界で生きていくと決めたのだと、他人事のようだけれども感じています。
『もっと』は麻薬。